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【第3章】家事育児に忙殺され常にイライラ。ついには夫が鬱病に!?

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前章では建築に興味が持てるようになって地元の設計事務所に就職したちゃこ。
頭をもたげ始めた違和感
確かに、仕事にやりがいはありました。
無事に納品できた時や、問題なく現場が終わった時は嬉しかったです。
でも「これって私が本当にやりたかったこと?」
地域との関わりが少ない
新米だった私は事務所にこもって図面作成や資料作りをしてばかりいました。
物件の打ち合わせや現場確認は上司が行い、決定事項を図面に反映させたり諸々の事務をこなしたり。
それに、何故か扱う仕事の大半が県外のものだったんです。
そうすると、どうなると思いますか?

建築がその地域に存在する状況を、リアルに自分事として体感できなかったんです。
もちろん施工中や竣工の写真を見ることは多々ありますが、自分の仕事とつながっている手ごたえをあまり感じられていませんでした。
地域に根付いて地域の役に立つ仕事をしているという実感をなかなか得ることができない日々。
伝統工芸士を志した時、それからまちづくりが好きになった時から変わらずに地域の伝統や文化を守っていきたいと思っていた私は、自分自身の仕事に対してもやもやが募っていきました。
小さな子どもを抱えての仕事
もうひとつ、大きな問題がありました。
この時の私は子どもを抱えて働いていたんです。
小さな子を保育園に預けているので、独身時は当たり前にできていた残業もほとんどできません。
それに、帰社が遅くなってしまう県外への出張は日帰りですらなかなか難しく、泊りがけで現場へ出張する先輩を羨ましく思ったこと数知れず。



さらには頻繁に子どもが体調を崩し、しょっちゅう保育園から呼び出される始末…。
大事な打ち合わせの日も締め切り間近の切羽詰まった時期も、子どもはお構いなしです。
仕事大好き人間だった私にとって、自分の自由に働けないことは相当なストレスでした。
もちろん子どものことは可愛くで大好きで1番大切な存在です。
でもこの時期は、思うように仕事ができないことへの焦りや不満の方が大きく、我が子としっかり向き合うことができていなかったと思います。
そして我が家の暗黒期突入…
思い返すと当時は、自分の希望通りに仕事ができないフラストレーションが溜まって機嫌悪いオーラが常に出ていました。



そしてその影響をもろに受けてしまうのが家族です。
夫も私の不機嫌オーラに充てられて、些細なことでの口喧嘩が増えてしまいました。
夫との対立
夫はもともと、子どもが3歳くらいになるまでは母親が家で世話をするのが理想的だと思っていたんです。
ですが仕事ラブな私はそれを受け入れられず、子どものことは全部私がやるという条件付きで職場復帰をさせてもらっていました。
納期直前で休憩を取る間もなく仕事に打ち込んでいたある日のこと。
事務のお姉さん「ちゃこさん、保育園から電話ですよー」
嫌な予感は当たるものです。
子どもが熱を出したのでお迎え要請の電話でした。



っていうかなんで毎回私が休みを取らなきゃいけないわけ!?
子どもの心配より真っ先に夫への怒りが沸き上がった時点でだいぶひどい母親ですよね…。
ですが溜まりにたまったものが爆発し、もうイライラが抑えられません。
私の給料もちゃんと家計の足しになってるじゃん!?!?
それなのにこっちの負担多すぎだろ?!?
夫が帰宅してから、言いたい放題文句をぶち負けました。
夫も反論してきて家庭の雰囲気はもう最悪。
あの時よく離婚しなかったなと思うくらい、本当にひどい有様でした…。
そして夫の我慢の限界がきて…
連日喧嘩が続いた末に、なんと夫が鬱病を発症してしまったんです。
原因はいろいろあったようですが、私の態度や言葉が引き金になったのは間違いないでしょう。
職場では上司やお客さんからの無理難題に応えて神経を擦り減らし、家に帰ると眉間にシワを寄せた全然可愛くない嫁が常に喧嘩腰で文句言ってくる…。
これでは休まる場所がないですよね。
それに鬱病って多分そんなに短期間になってしまうわけではないと思うので、もしかしたら結婚してからずっとストレスを感じ続けていたのかもしれません。
本来、家庭とは心の拠り所のはず。
家族のために頑張ってくれていた夫には本当に申し訳なかったと思っています。
ですが、鬱病発覚当時の私は



なんてことを思って、たいしたフォローもせずに不満たらたら…。



しばらくしてさすがにこのままじゃよくないと気付いて夫との関係改善に努めましたが、どうすればみんなで楽しく穏やかに過ごせるようになるのかさっぱり分かりませんでした。
訪れた転機
そんな状態が1カ月ほど続いたでしょうか。
その日もいつものように18時近くまで働いて、そのまま車を走らせて急いで保育園へお迎えに行きました。
夜風が冷たく、あたりはもう真っ暗です。
保育室に近づくと、不自然なほどに煌々と明るい部屋で、先生と2人でポツンと座って待っていた我が子が見えました。
その心細そうな姿に、一瞬 胸がギュッと締め付けられましたが、その気持ちには気付かないふりをします。
先生に挨拶をして車に戻り、娘を後部座席のチャイルドシートに乗せました。
そしてエンジンをかけた時だったでしょうか、娘が私に問いかけてきたのです。
「お母さんって何屋さん??」
保育園で先生と、おうちの人のお仕事の話になったのでしょうか。
3歳の幼子の純粋な質問だったと思います。
バックミラーでこどものキラキラした顔を見て、私はしばらく思考停止してしまいました。



そして、それまで蓋をしていた感情が一気に溢れてきました。
- こんな真っ暗な時間まで、こんなに小さな娘を保育園で待たせていること
- それなのに本当にやりたいことはできていないこと
- 自分が何の仕事をしているのか自信を持って答えられないこと
- でもやっぱり明日も明後日も娘を預けて仕事に行かなければならないこと
不甲斐なさ、悔しさ、悲しさ、申し訳なさ。
いろんな感情がグルグルと渦を巻いて、みるみる溢れてくる涙。
それまでやりたいと思っていた「仕事」そのもの、
そして夫を鬱病に追い込んでまで必死で守ってきた「仕事をする私」そのものは、本当の私が望んでいるものじゃないんだと初めて気づいた瞬間でした。
仕事がしたいわけではなかったことに気付いた
やりがいを持って働く母親の姿を見ていた私は、小さい頃から自分もしっかりバリバリ働くことを疑いもしませんでした。
そうすれば収入も得られるし、家族みんな幸せになれると思っていたのです。
だけど実際はそうじゃなかった。
「仕事」がしたいわけじゃなかった。
好きなことをしながら、自分の使命を果たしながら、家族で幸せになりたいだけだった。



フルタイムで働いていたのを時短勤務にしてもらい、夫との対話や子どもと向き合う時間をしっかりと取るようにしたんです。
すると少しずつですが夫の状態も回復し、生活の再構築に向けて前向きに取り組めるようになっていきました。
以前のように夫とくだらない冗談を言い合ったり、一緒に買い物に出かけたり。
(一時期は本当に一触即発状態で、冗談を言い合うなんてとてもじゃないけどできなかったんですよ。)
家族に笑顔が戻ってきたのが何よりも嬉しかったです。
でも、そううまくいかないのが人生ですね。
ここで問題が発生していました。
収入が激減という現実が立ちはだかる
何を隠そう、この時生活費がカツカツ!だったんです。
時短勤務にしたことで私の給与がガクッと減ってしまいました。
加えて実は、夫も鬱病が長引いてしまったため退職していたんです。
仕事がすべてじゃない。でも現実問題としてお金は必要。
じゃあどうする?
またしても新たな悩みの種が生まれてしまいました。
理想はこちら。
仕事量は多くないけどそこそこ稼ぎがあって、家族との時間と楽しみに使うお金のどっちもある、そんな家族みんながHappyになるような働き方



ネットで調べると「好きなことで稼ぐ!」とか「家にいながら月収100万円」とか、そんな情報はゴロゴロしていますが、どれも胡散臭い…。
良い方法が見付からず、しばらくは生活費を切り詰めながら今の状態をキープするしかありませんでした。


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